ご祭神

 ・健須佐之嗚命(たけすさのおのみこと)

 ・櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)

 ・末社

 住吉神社

 西野神社、次野神社、乾野神社、火産靈神社

 金毘羅神社、稲荷神社


由緒

 村野神社の創立は、弘安2年(1279年)2月8日に神司・神地が定まり、新たに神社を造立し神霊を遷し奉った。(大阪府神社誌によれば、弘安2年8月勅請云々とある。)

 明治5年に村社に列し、明治41年12月に神饌幣帛料供進社(しんせんへいはくりょうきょうしんじんじゃ)に指定されている。

 祭礼に当たっては、青白和幣(にきて)を神殿に捧げ、巫女乙女は鈴鼓で天下泰平を祈り、また、弘安2年9月18日の祭礼には、神輿を出し奉り、天の川の西に御旅所を設け、同月21日に宮司始め供奉の神人前後左右に行列を引き、神輿を渡し奉り、日々幣帛、御酒、御供種々の時の物等を奉る。10月19日に御遷幸(この間30日)この時以来、毎年この祭礼を執り行ったと伝えられている。

 

 創立当時の社有地は詳かではないが、桜ヶ丘小学校の敷地を枚方市に売却し、昭和37年10月秋本殿を鉄筋コンクリート造、銅板葺で竣工し、末社および遥拝所等は昭和44年10月東海大学の敷地に売却し、改築及び修復し、村野保育園を設立した。

 手水舎は平成3年12月15日に建設され、神宮遥拝所は本殿新築20周年記念として昭和58年10月に建立された後、令和元年7月庭苑改築を行った。


社紋

当神社の御神紋は右にあるのが「五瓜に唐花(ごかにからはな)」と、左にあるのが「左三つ巴(ひだりみっつともえ)」である。

 

左三つ巴は「神紋」として、多くの神社で使われている。

 

五瓜に唐花紋は別名「木瓜(もっこう)」とも言われており、織田信長の家紋としても有名な五瓜に唐花紋は織田木瓜(おだもっこう)とも呼ばれている。

 

ご祭神は八坂神社と同じく、枚方市内にある片埜神社より御霊分けされたものであることから、社紋も同様となる。